2008年12月15日
シマ紙の条件
奄美の豊かな森を感じ取ることができる紙「シマ紙」について、私にはひとつだけ明確な条件を考えています。それは非木材紙であることです。
昨日の記事で述べたことと若干重複しますが、
私は手近なコピー用紙やティッシュペーパーを透かして見ると、バリカン刈りに木々を剥ぎ取られ、丸裸に山肌をさらす奄美の山々の姿が浮かんできました。
その理由は、おそらく手に取った紙が木材チップからできた紙だったからです。
私は奄美大島でチップ工場が新たに稼動したのを知っていましたし、
さらに、秋に訪ねた奄美大島で実際にチップ伐採で山肌を露出させた光景を目の当たりにしました。
今後、チップ用の木々を刈り取った伐採地も植林がなされ、きちんと手入れされて林業が持続可能な林業用地として再生されていくのかもしれません。また、チップ工場や島の林業のあり方を批判したり是非を論じることはプログラムの目的ではありません。
しかし、昨年までは確かに緑濃い森であった場所が、すっかり木々がはぎとられ赤茶けた山肌をさらしている姿は、私にとってはとてもショックな光景でした。これからも、木材から作られた紙を見ると、どうしてもチップ用木材伐採地として赤土の地面をむき出しにした奄美の山々の姿を連想せずにはいられないくらい忘れがたいこと光景だったのです。
ですから、私にとってのシマガミ、つまり、深い緑に彩られた奄美の森を連想させる紙は木材以外の原料であることは唯一の、そして絶対に必要な条件なのです。
昨日の記事で述べたことと若干重複しますが、
私は手近なコピー用紙やティッシュペーパーを透かして見ると、バリカン刈りに木々を剥ぎ取られ、丸裸に山肌をさらす奄美の山々の姿が浮かんできました。
その理由は、おそらく手に取った紙が木材チップからできた紙だったからです。
私は奄美大島でチップ工場が新たに稼動したのを知っていましたし、
さらに、秋に訪ねた奄美大島で実際にチップ伐採で山肌を露出させた光景を目の当たりにしました。
今後、チップ用の木々を刈り取った伐採地も植林がなされ、きちんと手入れされて林業が持続可能な林業用地として再生されていくのかもしれません。また、チップ工場や島の林業のあり方を批判したり是非を論じることはプログラムの目的ではありません。
しかし、昨年までは確かに緑濃い森であった場所が、すっかり木々がはぎとられ赤茶けた山肌をさらしている姿は、私にとってはとてもショックな光景でした。これからも、木材から作られた紙を見ると、どうしてもチップ用木材伐採地として赤土の地面をむき出しにした奄美の山々の姿を連想せずにはいられないくらい忘れがたいこと光景だったのです。
ですから、私にとってのシマガミ、つまり、深い緑に彩られた奄美の森を連想させる紙は木材以外の原料であることは唯一の、そして絶対に必要な条件なのです。
2008年12月15日
シマ紙・プログラム始めます

「シマ紙・プログラム」とは、「シマの紙」を考え、実際に紙を作ってみようというものです。その試行過程を通じて、21世紀に生きる私たちの求める「豊かさ」のヒントを探ってみたいと思います。
「シマ紙」とはその紙をぱっと見ただけで奄美の豊かな森を感じ取ることができる紙を指す私の造語です。
きっかけは「一枚の紙に雲を見る」という言葉でした。
ベトナムの仏教指導者ティク・ナット・ハンが提唱した「interbe(相互存在している)」という概念を示した言葉です。雲がなければ雨はなく、雨がなければ樹は育ちません・そして、樹なしには紙を作ることはできません。
つまり、紙が存在するためには雲はなくてはならず、雲と紙は「相互存在している(interbe)」ということなのだそうです。
一枚の紙の向こうに見える雲。その言葉から私が連想したのは深い緑に彩られた奄美の森から沸き立つ水蒸気でした。しかし、ただ言葉の上で紙と雲と樹木という単語に瞬時に結びつく「美しい奄美の森」ですが、実際に手近なコピー用紙やティッシュペーパーを透かして見ても奄美の森が透けて見えることはありません。それどころか逆に木材チップを採取するためにバリカン刈りに木々を剥ぎ取られ、丸裸に山肌をさらす奄美の山々の姿が浮かぶのです。
では、巨大なブロッコリーを丸ごと茹でたかのように、山一面から水蒸気の湯気がたつ保水力豊かな奄美の森を連想できる紙とはどんな紙なのでしょう?
この疑問が「シマ紙」について考え、実際に作ってみたくなったきっかけです。